2016/04/15

自殺願望の人類たち










と、AI(人工知能)の話題が最近特に喧しくなってきて、



こういったニュースや議論も今の、一時的なものじゃなくて

この先



どんどんとうるさくなっていくに違いない。



まず、囲碁に関してですが

普段全くしないので、その衝撃の大きさを僕は



ぶっちゃけ

世間ほど判らなかった



…のですが、ただ!



AIが小説コンテストの選考に通ったり、レンブラント風の新作の絵画を描いたのには

(あ、そういうクリエイティブな分野も侵されていくのか)



と非常に驚いた。



【人間が存在をする意味はあるのか?】

【何十年後では、人間がする労働のかなりの割合がAIにとって代わられている】



という脅威論があるのだが、



拳銃や核兵器とかと一緒で

人間はなぜ、ともすれば、己の存在を危うくする様なモノを作るのであろう?



と、AIに関する記事を目にする度に思うし、台所で包丁を握る時にも考える事がある。



例えば、

アップルやGoogleが開発している車の自動運転システム。



クソみたいな人間の危険運転、という

その、金輪際ただの一件も起こってほしくない交通事故、

それで亡くなる罪のない人の事を想っただけでも



僕はもっと発展すべきだと思っているし、

人間なんてAIに車を運転する権利を譲渡してしまえばいい思う。

僕は自動運転システムが行き渡った社会には希望しか想わない。



まず、多くの人間の車の中に自動運転の車が何台か走ってる、って状況から、

AIが運転する車がどんどん増えていって、



ほとんどがAIによる車の車群の中に、人間が運転する姿は「たまに見るね」っていう、

そんな未来の風景の中で



人間の運転にこそ危険な香りを感じます。



そういう社会において個人レベルでは

車に乗れば行き先を言うだけ乗せて行ってくれるのである。



道という道の交通状況と、車が

ビッグデータで全てリンクして、事故も起こらない、

という、いわば、データというレールによって運行される無人タクシーみたいなもので。



そうすれば、アホが通園中の園児の列に突っ込んだりするような事もないであろうし、



確かに(自分で)運転する楽しさを失うかもしれないが、でもそれを手放せば、

無用の交通事故も減るし、暴走族ももはや暴走族でなく、ただの「族」であり、問題は騒音だけになる。



人間は

人をやっつける為の武器・兵器や、凄い計算を超速でこなしてくれるコンピュータを造る時に



その矛先が自分に向けられる《事もありうる》といった可能性を吟味しなかったのでしょうか?



それとも

吟味できるけど、そこは度外視してテクノロジーの、発展、洗練させる為という、ただ一方向のみを目指しているのであろうか?



アメリカが作った原爆は日本で炸裂しました。

日本にとったら原爆は悪ですが(核の傘論等は脇に置いといて)、

自分の頭上での炸裂は、外交によって今のところ免れているアメリカ自身にとっては正解なのであろう。




かつて人類が一宗教で求めたような

例えば、神のような、全知全能の存在というのは

もしかしたら

人類自身の中にあるのかもしれないし、実は、人類自身かもしれない。



となると

全知全能というのは、なんでもできる事であるから

自分を征服、

つまり

全知全能である自分を殺す事が出来なければ全知全能でない、という証明になってしまうのである。



だから

人類は

常に自分を殺す術を求めるのであるし、

そういった、衝動的な本能が



科学の発展の、

もしかしたら、

唯一のモチベーションかもしれない。



自殺っていう事に関して

別に人類っていうレベルで見なくとも、哀しい哉、後を絶たない。



自殺する理由は結局のところ、死んだ当人に聞かなければ結局解らないのであるが、



中には、己を超えていくという積極的な自殺もあったのではないのであろうか。

太宰、芥川、三島の死とか。知らんけど。



人間の心の弱さといった、一面のみで片付ける事こそ、人間的な、ラクな作業である。

でも、理由はどうであれ

自殺という結果は



遺された僕たちにとっては

迷惑千万、馬鹿な事以外の何モノでもない。



以上、作文の練習。




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日本夢之助


(1)4月23日土曜日
『圓満名人+ちきん迷人東西落語会』
時間/15:00開演!
入場料/1500円
場所/こちゃばんば「アンデス音楽店」JR環状線天満駅スグ

出演者/橘ノ圓満、桂ちきん、日本夢之助(一部)
お問合せ・06-4800-9711



(2)よしもと漫才劇場に出るためのオーディション
『UP TO YOU』
5月30日(月) 19時45分開場/20時開演
場所・中崎町 BSQUARE(大阪市営地下鉄谷町線「中崎町駅」下車、3番出口あがったところのビルの地下1階です)
料金・500円


短期留学出来るくらい空いてる≫≪

2016/04/09

永田町の...



私は日経新聞を取っている。



なぜ、こんな

《ともすると、反感を買うかもしれない事》をワザワザ書くのかというと



日本経済新聞社の人が見ていて、「いつもありがとうございます 敬具」的なお礼でも届けば、と甘い考え。

謝礼とか。

割引とか。



まぁ、とにかく、新聞は読んでる訳ですが

日経に限らず、他紙にも共通する記事というのがあります。それは



【首相の一日(前日)の動向】である。



日経だと『首相官邸』という題で、

僕はこれを眺めるのが



割と好きである。



何時何分に何省の誰々と会食

とか



海外でも

どこどこ国の、何々大統領と会食と



分刻みで箇条書きに書いてあるだけのもので

読んでも

なんの足しにもならないのですが



なんか好きである。



あの安倍さんがいついつに会議して、何時に食事して、夜の何時に家に着いて、と

安倍さんを頭の中で具体的に動かしたりするのが楽しいのです。



そして

読んでていつも思うのは

安倍さん



いっぱいご飯を食べてるな〜、って事です。

めっちゃ食ってます。

赤坂とかでよく食べてます。



でも

色んな国や団体の人々と食事を取ることが、一国の宰相の仕事でもあるし、



それで動く政治もある訳です。



いわば

安倍さんは飯を食うために飯を食ってる、って訳です。


ギャル曽根のように。


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日本夢之助


(1)よしもと漫才劇場に出るためのオーディション
『UP TO YOU』
4月15日(金) 19時45分開場/20時開演
場所・中崎町 BSQUARE(大阪市営地下鉄谷町線「中崎町駅」下車、3番出口あがったところのビルの地下1階です)
料金・500円

2016/04/04

北極星のように



久しぶりに競馬について書きます。


最近は

radiko(ネットラジオ)で中継を聴きながら、iPadでのネット投票



というのがボクの専らのスタイルで



新聞眺めて、アンテナ伸ばしてラジオを聴いてるおっちゃんと

やってる事はそない変わりません。



ただ、ラジオじゃなくiPadってだけで。

ただ、耳に赤ペン挟んでないだけで。

ただ、競馬場やWinsで床に座り込んだりしないだけで。



さすがに桜花賞や宝塚記念、菊花賞など大レースには競馬場に足を運んだりします。

ああいう時に凄みを感じる「競馬のおっちゃん」というのが居てはるんです。



ただの「競馬のおっちゃん」ではありません。



ホ



ン



モ



ノ。



朝ドラ的でいうと



ほんまもん。

ほんまもんの「競馬のおっちゃん」。



ほんまもんの「競馬のおっちゃん」はね、

その時の大レースを見ないんですよ。

競馬場まで来てるのに。



凄いでしょ?

ヤバイでしょ?



パドックも見なければ、レースも見ない。

ただ床に座り込んで、新聞紙広げて、ラジオ聴いてるんです。

今から桜花賞なのに!



WINS(場外馬券場)でもほんまもんのおっちゃんが居てはります。

みんなモニターのレースに釘付けなんですが



まったく見てない人が居ます。



そうです、

ほんまもんの「競馬のおっちゃん」です。



今、当に発走するの、フラフラ歩いたり、階段で降りていった、

完全に達観してる。

全てを超越している。



僕なんか競馬場にもWINSにも行くんですが、

「馬券買う」というより「レースを見に行ってる」「スターホースを見に行ってる」って方が重要なんです。



例えば、競馬場でしたら

パドック視て、本馬場入場視にスタンドに移動して、それから馬券を買って

レースを視にまたスタンドに戻って、、



っていう風に、競馬場では忙しく動き回ってるんですね。

でも、

(俺、競馬場来て何してるんだろ)

とか、思ってりしながら。



そう、

ふと冷静になる時があるんですね。

そういう、冷静にはなりながらも



でも

目の前にレースは迫ってるし、馬券は買わなあかんし、で動きに動き回って。



僕だけじゃない、



周りも動いてて、

全てが動いてて。



競馬場ってそういうところなんです。行った事がない人は是非行ってみてください><



その中にあって、ただ一点。

まるで、北極星の様に



動かない物体に気づきます。

それが

《ほんまもんの競馬のおっちゃん》です。




競馬場まで来てるのに!


スターホースが今から走るのに!


今からオルフェーヴルが走るんやで!


ジェンティルドンナが!ゴールドシップが!


ドゥラメンテの復帰戦やで!


今日桜花賞やで!


宝塚記念やで!




「もうすぐ発走すんで!」

「いいのかよ!」

「知らんで!」



僕はおっちゃんに呼びかけます。

心の中で。



でも、おっちゃんは何も言いません。



「わかった。

ここで、お別れだな」



僕は泣いています。

心の中で。

『インサイドヘッド』でボンビンを救えなかった時ぐらい悲しいです。



それでも

ほんまもんの競馬のおっちゃんは



やはり、何も言いません。



こっちに振り向きもしません。

当たり前です。



ただただ、床に座り込んで広げた新聞に見入ったままです。多分最終レースの予想してます。



他人なのにね。

別に他人だから、その他人がレースを見逃そうと知ったこっちゃないハズなんです。



放っておいたらいいだけの話なんです。



きっと僕は悔しかったんだろうと思う。

馬券を買ったりレース見にあくせく走り回ってる、そんな自分が



《馬券のおっちゃん》のせいで、もっと滑稽に映ってしまう事が。





ほんまもんの競馬のおっちゃん。

「競馬のおっちゃん」というより「馬券のおっちゃん」ですね。



たぶん、死ぬまで敵わないだろうな。


「馬券のおっちゃん。」。

「馬券のおっちゃん♂」。



馬券の精。



北極星の様に、動かず、光っています。

ほんまもんの競馬のおっちゃんが居るから、僕らは動き回れるんです。



ほんまもんの「馬券のおっちゃん」は



来週もレースを見ない、

競馬場まで来てるのに。



なんでやねん、やで。





2016/04/02

夜桜

大阪は日本橋、国立文楽劇場前にある一本の桜の木。






2016/04/01

人を好きになるということ



以前、友人に




「なぜ人は人を好きになるのか?」

「好きになる、とはどういう事か?」



を問われ、
答えに窮した。

考えたこともなかったからだ。



可愛いから

優しいから

ハゲてるから



とか

そういう個別の案件ではなく



「人が人を好きになる」ということについての総論である。



それ以来、ボーっとする暇があれば、そんな事を考えてるんですけども。

安心してください、病んでます。



もしも、これが「好き」
じゃなくて

「愛する」事だったらもっと簡単なハナシである、

少なくとも僕には。



「何故、人は人を愛するのか?」

「愛するという事はどういうことか?」



答えとして、

【その人の事が好きだから】

は、あり得ると思う。



しかし、

「何故、好きなのか?」という問に対して、

【その人の事を愛しているから】

という答えは、これまた違うんだなぁ。



『愛』

という字には

《情》



という一字が時として、くっつき

『愛情』という言葉を作るが、



『好情』なんて言葉はない。



そういうところからしても

人を好きになる事と、愛する事は全く別個のものだと思う。



「好きという感情がやがて愛になる…」みたいなアホみたいな言葉も世の中ありますが、

出世魚ちゃうねんから。

比べるものでもなく、次元の違う、全く別のものなんです。



キャベツとiPhone

ってなくらい。



なんでこの例え出したか解りませんが(´・_・`)



さっきもお伝えした通り、

僕なりではあるが愛する、という事についての答えは出ている。



それは



愛は心(のあり様)ではなく、

手段、道具である。



実はこれは

某紀伊国屋書店によく平積みされている、

ドイツらへんの心理学だか哲学者だかが書いた、



「愛するということ」

という本に書いてある(であろう)考えでして。



何故 (であろう) なのかというと、

読んでないからだ。



雑誌の書評だか帯だかの文言の中に

≪愛とは手段である≫

といった様な((この本の答えなんだろうな))と思える事が書いてあって、



まー、立ち読みで知った言葉ですけれど、

いたく共感して(ジックリ読んでみよう)と買いまして、ところが

この本からのヒントとはいえ、僕なりの『愛するということ』の答えはとっくに出てるし、

書いてあることもくどいし、、で



何か

邪魔くさくなってきて

読むのを辞めました。



というわけで、

本を頼りに、では御座いますが、



一応「好きになるとはどういう事か」より先に「愛するとはどういうことか」は僕なりに掴んだつもりなのです。


説明させて頂きますと、

 「好き」という感情?を表現する手段が愛なのです。



暖かくも熱くもなんともなく、無味無臭。

究極的には、

ただの、物質的な道具。



だから、

好きだから愛する



っていう事もあるし



好きじゃなくても愛はある、

って場合もあると思います。



そういう意味では



愛は情

とも思えてきます。



別に好きじゃなくても、その人に対して情を持っていたら



尽くしてあげたり

許してあげたり



振り込んであげたりするっていうのがありますよね。



さて、本題の「人を好きになるとはどういう事か?」ですが

僕の32歳の時点での答えは、



本能



だと思います。

心じゃなく本能。



どんな本能か?

それは

[好]という字を分解したら解ります。



なぜ!!!!!!

「好き・like」という

心なのか本能なのか感情なのかどうも判らない人間の精神的作用を

[女]と[子]の2文字を組み合わせて表したのか?



これは


《女性が「このヒトの子どもを産みたい」と思う本能》ちゃうかな〜

と。



または

漢字は男が作った、といった説を尊重するならば

《「この女を身篭らせたい」と思う男性の本能》じゃないのか〜

と。



あと、

[好]という字には 

〈心〉

が入ってません。

[愛]には入ってます。



そこからしても、

好きというのは心(感情)なのか?

それとも

人を好きなる事が【心】自体だから、字の中に心がはいってなのか?



などと、考えは止まりません。

とりあえず、

人を好きになるっていうのは



理由とか考えると

どうしても出てこないんですね。



人を愛するのには理由はありますが、好きになるのに理由ってないと思う。



自分が主体となって何かしたり、考えたり、思ったりと

どうこうしようとしても何も出来ない、不可抗力だと思う。



そういう意味でも

本能だと思います。



だれか好きな人がいるって時っていうのは、

いつの間にか

好きになってますよね。



いわば、

「好き」という言葉の前では



好かれる方も

好きになる方も

永遠に客体。



「好き」という本能が

人間の存在とは全く関係なく



宇宙の中に独りただあるだけの太陽。



僕は愛の温度を測っても何も感じないが

好きという本能には太陽の様な熱さを感じる。



なんでやねん。



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日本夢之助


(1) 『UP TO YOU』
2016年4月8(金) 19時45分開場/20時開演
場所・中崎町 BSQUARE(大阪市営地下鉄谷町線「中崎町駅」下車、3番出口あがったところのビルの地下1階です)
料金・500円


(2) 『UP TO YOU』
2016年4月15(金) 19時45分開場/20時開演
場所・中崎町 BSQUARE(大阪市営地下鉄谷町線「中崎町駅」下車、3番出口あがったところのビルの地下1階です)
料金・500円