2015/02/18

バスケットマンの一分

バスケットマンの一分

私は10歳(小5)から22歳(大学5回生)までバスケを



部活動やサークル含めてしてたのですが、

常に弱小でした。



そんなボクでもバスケットマンの一分(いちぶん)っちゅー奴があったんだなと

今年のNBAのオールスター ダンクコンテストを視て初めて気付きました。



それは

むやみにダンクを狙わなかった事です。



【ダンクが出来るけど、試合中に無理矢理狙う】って意味じゃなくて



明らかに身長(172cm)もジャンプ力も

ないのに



ダンクが出来るようになる為に

ボールを片手で掴もうと手を拡げたり、ジャンプやステップの練習ばかりする事です。

そういう人が時々居ました。完全に時間の無駄です。当たり前です。



ある意味《諦め》と言えますが

それは一方で



《バスケットマンの一分》

とも言えるのではないのでしょうか?

つまり、



自分が出来る事を見つけて、それをする事、で

それが人生だと思うのですが



それが今、全く生かせれてないっ。・°°・(>_<)・°°・。 ダンクを簡単に諦めた僕よ、帰って来い!

2015/02/14

スパイス


スタバで吹いてしまった。



コーヒーを吹いてしまった。

プハァーーッ、って。



周りに変な客がおった、とか

友達に笑わされた、とか

そんなんじゃなく、



かといって

何か喉に詰まった、とか

むせた、とか

そんなんでもない。



ただ

理由もなく吹いてしまったのだ。

結構大きく、吹いてしまった。

「ヴェローナ」っていうチョコレートに合う奴を吹いてしまった。

顔から火が出るほど恥ずかしかった。



反射的に「すみません!」と叫んだ。

誰にともなく。

店全体に言ったつもりである。

慌ててナプキンを大量にもってきて、周りの飛沫を急いで拭き取った。

僕の右隣には外国人の旅行客が、

左隣には日本人の若いカップルが座ってて、



思い返すと

《キモチ》その外国人客の方に向いてたかも。

で、

その、斜向かいにあたる外国人の椅子くらいに飛んでたけど

気付いてないのか無反応で、



でも、

少しして去っていった。

用事が出来たのだろう。

と思いたい。



それから、左隣のカップルからは

聞こえるか聞こえないかの小さい声で

「…ぃや、絶対キレるだろ」

と聞こえてきた。



70パーセント僕の事だ!

そして

不意にニヤニヤして

不意に笑い出す。

男が女に



「何がおもろいねん」

女「…」

男「だから、何笑ってんねん」

女「別に何でもないって!」



と、笑いを堪えてた。それを視て相手の男もまたこみ上げてきた笑いを堪えている。

しばらくして、席を去っていった。

"楽しい事を共有出来てる辺り、キミたちは当分大丈夫だよ"



やっぱ

牛乳とか

そういう、【口に含んでる液体を吹く】図(え)

って面白いんだなって思うんです。



またそういうのって〈笑わされた〉りとか【理由】があるんですが

その理由があるかないかは周りの他人には判らないから、でも笑ってたってのは、やっぱ図が面白いだ。

そして今回はスタバで、って状況も多少のスパイスになってます。



そういったどうでもいい事を考えたりしないと

今でも落ち着きません。



それくらい恥ずかしかった。

2015/02/03

No Agreement No Sexiness


エロって、合意の上のソレじゃなきゃ、感じないんです、僕は。



最近、Twitterのタイムラインでよく見かけるのが

出会い系のアプリの紹介リツイート。



まぁタイムラインで目に飛び込んでくるモノなど

自分がフォローしている人に依るので、

10人が10人



「そうそう」と

共感してくれるものでもない、

ただ

僕がフォローしている誰かがソレをリツイートしてってだけの話なのだが、



併せて

そういう出会い系のSNSをやっている人が僕の周りにも実際にいるので

僕は

流行っている、

と勝手に思っているのである。



僕は全くする予定がないし、

友達がやってても

それはそれで別に悪い事じゃないから、

「別にいいんじゃない」以外は何も思わない。



他人事である。

ただ話を聞いてて

【ヤりたい男】と【ヤりたい女】をマッチングさせて利益を得る【業者】と、



三者が三者ともプラスなのであるから

ある意味、



普通のフェイスブック等々のSNSよりシンプルだとさえ思います。



…そんな事はどうでもよくて。

その出会い系SNSを喧伝するツイートには



「スグ出来た」等の文句で、セックスしてる女の子の写真も貼ってあって。

別に合成写真でもなさそうで、

写ってる女の子がみんな結構可愛いのだ。



そこから僕は「この写っている女の子達は、

その、自分のハメ撮り写真がTwitter上で出回ってる事を知っているのだろうか?」



と、別に心配じゃないのだが、そういう事に思いを巡らしてしまうのである。



そうだよ、

俺は野暮だで。



これらの女の子達が写ってるのを知っているか?否か?

その真実は、突き止める事が出来ないのであるし、

仮に、知る機会に臨めた時には、どっちにしたって



結局問題にしないに違いない、きっと。

だから

どっちにしろ

そんな写真を目にするというのは、



僕の場合

何か「のぞき」をしているようで嫌なのである。

のぞき、痴漢、レイプとか、そういうジャンルにしてもそうだし



違法にアップロードされたエロ動画とか無修正とか

いわば、合意のないエロに対峙しても

性欲は湧かないのである。全く勃たないのである。

そう考えたら



セックスというのは普通がいいんだろうし

それが出来なきゃフーゾクとか行きゃいいし、

AVにしても、ちゃんと買うか借りるかするとして



すべて、男女の間に【合意】=契約を介在させることで

後顧なくし、安心して



そこで初めてエロを感じれるのである。



さらに突き詰めていけば

なぜ、合意がある場合にしかモノにエロを感じないのか?



僕自身の根本的な気質によるものに違いないのだが、それは追い々々。



あのTwitterで出回ってる女の子達は、撮られ、廻されている事はご承知なのか?

どっちにしろ、そこに合意は『なかった(のではないか)』と思う方がベターで、



そういう場合には

何度もいうが、エロを感じないのである。

僕の性癖などどうでもいいだろうが、



性欲を感じるモノ、勃たないモノ

とエロコンテンツを大きく2つに分けるとすれば



【合意】という行程の存在は1つの尺度ではござらんか?

2015/01/27

借りてきたDVDを前にして

先日


TSUTAYAで旧作DVDのレンタルが100円だったので、

コミックも含めて色々借りました。





コミック
・アオハライド(1)〜(3)
・海月姫(1)
・俺物語!!(1)
・白暮のクロニクル(1)
・弱虫ペダル(36),(37)
・キングダム(1),(2)


どれも面白う御座いましたm(__)m



DVD
・カリオストロの城
・借りぐらしのアリエッティ
・仁義なき戦い(1),(2)
・ミナミの帝王(1)
・善徳女王(3)




DVDの方は、このまま視ずに返しそう



ってなくらい

視る気が全く沸き起こりませんー



作品のせいじゃなくて、

部屋でじっと視続ける事が出来ないのです。

本を読むのにじっとは出来ますが、映画はなんか無理なんです。



それと、

面倒くさいのです。

何がどう面倒くさいって

DVDをケースから取り出しセットする、あの作業が面倒くさいのです。



その点

本は

パッと表紙をめくるだけで物語に入り込めるのです。

マラソンと50m走くらいの差を感じます。

それくらい面倒くさがりーなのです。



これだから映画は劇場で「視なければならない」と思うのです。

いや、

改メ「視ておかなくてはならない」と思うのです、

僕は。



なんで借りたんでしょうかね?

何で借りたんだろうか?

と、



返却予定日前日になって

まだ視ずの膨大なDVDを目の前にして

思う事が日常茶飯事です。

でも止められません。



何視よ?とDVDを選ぶのって、何であんなにワクワクするんですかね?

まさに金曜日の夜。まさに14番目の月。

メニューの写真に夢みたほどのパンケーキが出て来た試しがあろうか!



旅行の計画立てるみたいな楽しさを感じます。

アレって、きっと現実じゃないんだと思う。



現実逃避であり、そしてソレは極めて甘美な弛緩の行為だ。

思い返しても、確かに快楽しかない。

それとあと、愉悦と。



そして、そこがいつもクライマックス。

そこからの【実際】は、もう現実で、はっきり言って、テンションはもう下降線っす。

行為ソレ自体の行程ではいつも既に醒め始めている。



もうこうなったら、

【寸止め】で済ませてしまおう、と思う事さえあります。



TSUTAYA行って



ふっふ〜ん♬とか何とか言って鼻で奏でながら

何視よ?と自問自答して



いっそ何十枚くらい手にして、レジに向かって歩いていき、、、

で、そこで終了。

って遊び。



あとは、レジを素通りして

CDコーナーのJPOPカヴァーかヒーリングとかの後ろの棚から廻ってDVDコーナーに戻り



手にしたDVDを元に戻していくっていう、そういう遊び。



おれは、それは楽しいと思う。

でもちゃんと借りて、それをちゃんと視ても、楽しいと思う。だから、



今目の前にある、借りて来たDVDに関しては、視た方が良いって事なんだろう。嗚呼面倒くさ

2015/01/13

いつだって中間情報

データ開示

日経1/13 夕刊 見出し
「加工食品の6割値下がり 去年のスーパー(日経調べ)」




統計等々のこういうデータの発表って



最終的な目的・結果にどのような結果をもたらすのか、

っていうのは毎回気になります。



その発表や開示という行為自体が、その後に及ぼす影響っていうのは

絶対ゼロじゃないハズだからです。

これにしたって



このデータに引っぱられる人はいるハズなんですよね

「なんだ、周りって結構高い値段で買ってるわけじゃないんだ。

そしたらウチも、もう少し手控えてもいいかな」

と購買に対して慎重になると思う。



これは

一定の物価上昇を政策の目的にしている為政者にとったら邪魔でしかない。

選挙の時の投開票日前の新聞社調べもどうかと思うよ。



「◯◯党が圧倒的に優勢か?」

とか

「◯◯席維持!」

など、



調査の精度は疑わないが、

事前のそういうデータに引っぱられる人は絶対に居るって!

だってみんな、自分の一票を有効に行使したいじゃん。



そういう時にあんなデータ見せられて誰が他の党に入れようか?

上掲のデータに関しても



自分のお金を有効に使いたいとみんな思ってる訳だから、

そういうデータは事実は別にして

それに引っぱられて値下げ圧力はさらに加速するんじゃないだろうか。



何でもかんでも情報が開示されていくというのは、何を意味をするのだろう?

データが人々をどこかに導き、また新しいデータを作っていく。



情報というのは、いつだって中間情報なのです。