ヒジオカ青春マイトガイ祐介兄さんと桂三河くんと。
京セラドーム大阪の天井
2人は7連勝がかかってると興奮気味ですが、僕は何の感慨もないので
作業しながら視てました。
作業しながら視てました。
視てました、っていうかほとんど視てません。。
でも、試合前に隣接してるイオンで食料買ってお酒飲みながら野球の試合を視る、
ってあの贅沢感を味わいたくて来てしまうのです。
ほぼ拉致ですが...。
ビール飲みながら、
基本メニュー:ロースカツ弁当(一人ずつ)
鯖寿司
4種のはみ出しちゃいました巻(サラダ巻)
チーズ鱈、
他に
ピリ辛きゅうり、
ピリ辛きゅうり、
ベビーチーズ、
ピザポテトBIGBAG、
ワイン紙パック(1人一本)、
あと、鯖寿司が別にもう一パックありました。
あと、鯖寿司が別にもう一パックありました。
どんだけ食うねん
話変わりますが、
僕は野球の試合を視る度に考える事があります。
狭いストライクゾーンめがけてピッチャーが球を投げ込み、
それを防がんと番人的な人が球を打ち返す、
打ち返された球を首尾よく守る、って構図は一見当たり前なのでしょうが、
【野球っていうこのシステムは何をモチーフをしているのか】を考えてしまうんです。
試合視ながら野球してる人に対して
(この人達は何をしているんだろう)とさえ思ってしまいます。
「野球や」って言われたら
それまでですが、
何かを表現しているハズ、と勘繰ってしまうのです。
そうでなくても
野球っていうスポーツがそもそも何かをモチーフとしているハズ、と考えています。
まず【攻撃=バッターで、ピッチャーは守備】が
通説、というか常識なのでしょうが、
僕の頭では逆で、
ピッチャー、他8人が攻撃で、
バッターが守備側って感じです。
だって
バッターの存在はピッチャーが球を投げるって行為を前提にしているからです。
守備であるピッチャーが打ち返されたら点を取られる恐れがあるのに
わざわざバッターがいる方面に投げ込む意味がどうしても納得できないのです。
「じゃ、投げなきゃいいじゃん」って思うのです。
【ピッチャー=守備、バッター=攻撃】と【打ち返されたら点を取られる可能性がある】
というルール上では並立している事実が
実は完全に矛盾してます。
でも、
ピッチャーは今日も投げるんです。
今、この瞬間も、
どっかのピッチャーが世界のどこかで
投げてるんです。
なぜ投げるのか。
それは、
そこに必要性があるからです。
そこで
極めて狭いストライクゾーンに球を投げ込む事がピッチャー的な得点、と考えれば如何でしょうか?
自分に点が入るのは必要性の一つと考えれば完全に納得できます。
この時点で本質的にピッチャー=攻撃です。
さらにそこから、
攻撃する(球を投げる)にしても得点に繋がるのは
本質的守備であるバッターより後方に投げ送ればよい、ってもんじゃなく、
世界中に無限に拡がる空間の中でも
自分の立ち位置から20数メートル先に浮かぶストライクゾーンというただ一つの『点』のみ!なのです。
それを僕はまさに【セックス】を意味してるんじゃないか、と思うのです。
極論エッチっていう行為で
キスしたりおっぱい揉んだりって相手を気持ち良くさせる前戯はあの手この手で沢山ありますが、
結局は挿入しなきゃ話にならない訳ですから。。
《結局セックスしなければならない》ってのと
《ストライクゾーンに球を投げ込まなければならないピッチャーの使命》は
被るね。。
ただ、そういう事がモチーフになっているものの
野球を視ている人にセックスを想起させないで、さらにスポーツとして成立させるには
本来守備であるバッターを塁を走り渡らせたり、
ホームランとか
インフィールドフライとか適当なルールを作ることでいかにも攻撃している様に見せかけ、
《バッター=守備、ピッチャー=攻撃》って本質を
《バッター=攻撃、ピッチャー=守備》という虚像へと
巧くイメージ転換させたものが、今皆さんが視ている【野球】というスポーツなのです。
僕ね、ボケとかじゃなくて本当にそう思いますよ。
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