以前、友人に
「なぜ人は人を好きになるのか?」
「好きになる、とはどういう事か?」
を問われ、答えに窮した。
考えたこともなかったからだ。
それ以来、ボーっとする暇があれば、そんな事を考えてるんですけども。
「何故、人は人を愛するのか?」
『愛』
それは
愛は心(のあり様)ではなく、
「愛するということ」
という本に書いてある(であろう)考えでして。
何故 (であろう) なのかというと、
読んでないからだ。
雑誌の書評だか帯だかの文言の中に
≪愛とは手段である≫
といった様な((この本の答えなんだろうな))と思える事が書いてあって、
この本からのヒントとはいえ、僕なりの『愛するということ』の答えはとっくに出てるし、
書いてあることもくどいし、、で
何か
というわけで、
本を頼りに、では御座いますが、
一応「好きになるとはどういう事か」より先に「愛するとはどういうことか」は僕なりに掴んだつもりなのです。
説明させて頂きますと、
「好き」という感情?を表現する手段が愛なのです。
暖かくも熱くもなんともなく、無味無臭。
究極的には、
ただの、物質的な道具。
好きだから愛する
好きじゃなくても愛はある、
可愛いから
優しいから
ハゲてるから
とか
そういう個別の案件ではなく
「人が人を好きになる」ということについての総論である。
それ以来、ボーっとする暇があれば、そんな事を考えてるんですけども。
安心してください、病んでます。
もしも、これが「好き」じゃなくて
もしも、これが「好き」じゃなくて
「愛する」事だったらもっと簡単なハナシである、
少なくとも僕には。
「何故、人は人を愛するのか?」
「愛するという事はどういうことか?」
答えとして、
【その人の事が好きだから】
は、あり得ると思う。
答えとして、
【その人の事が好きだから】
は、あり得ると思う。
しかし、
「何故、好きなのか?」という問に対して、
【その人の事を愛しているから】
という答えは、これまた違うんだなぁ。
「何故、好きなのか?」という問に対して、
【その人の事を愛しているから】
という答えは、これまた違うんだなぁ。
『愛』
という字には
《情》
という一字が時として、くっつき
『愛情』という言葉を作るが、
『好情』なんて言葉はない。
そういうところからしても
人を好きになる事と、愛する事は全く別個のものだと思う。
「好きという感情がやがて愛になる…」みたいなアホみたいな言葉も世の中ありますが、
出世魚ちゃうねんから。
比べるものでもなく、次元の違う、全く別のものなんです。
キャベツとiPhone
ってなくらい。
なんでこの例え出したか解りませんが(´・_・`)
さっきもお伝えした通り、
僕なりではあるが愛する、という事についての答えは出ている。
それは
愛は心(のあり様)ではなく、
手段、道具である。
実はこれは
実はこれは
某紀伊国屋書店によく平積みされている、
ドイツらへんの心理学だか哲学者だかが書いた、
ドイツらへんの心理学だか哲学者だかが書いた、
「愛するということ」
という本に書いてある(であろう)考えでして。
何故 (であろう) なのかというと、
読んでないからだ。
雑誌の書評だか帯だかの文言の中に
≪愛とは手段である≫
といった様な((この本の答えなんだろうな))と思える事が書いてあって、
まー、立ち読みで知った言葉ですけれど、
いたく共感して(ジックリ読んでみよう)と買いまして、ところが
いたく共感して(ジックリ読んでみよう)と買いまして、ところが
この本からのヒントとはいえ、僕なりの『愛するということ』の答えはとっくに出てるし、
書いてあることもくどいし、、で
何か
邪魔くさくなってきて
読むのを辞めました。
読むのを辞めました。
というわけで、
本を頼りに、では御座いますが、
一応「好きになるとはどういう事か」より先に「愛するとはどういうことか」は僕なりに掴んだつもりなのです。
説明させて頂きますと、
「好き」という感情?を表現する手段が愛なのです。
暖かくも熱くもなんともなく、無味無臭。
究極的には、
ただの、物質的な道具。
だから、
好きだから愛する
っていう事もあるし
好きじゃなくても愛はある、
って場合もあると思います。
そういう意味では
愛は情
とも思えてきます。
別に好きじゃなくても、その人に対して情を持っていたら
尽くしてあげたり
許してあげたり
振り込んであげたりするっていうのがありますよね。
さて、本題の「人を好きになるとはどういう事か?」ですが
僕の32歳の時点での答えは、
本能
だと思います。
心じゃなく本能。
どんな本能か?
それは
[好]という字を分解したら解ります。
なぜ!!!!!!
「好き・like」という
心なのか本能なのか感情なのかどうも判らない人間の精神的作用を
[女]と[子]の2文字を組み合わせて表したのか?
これは
《女性が「このヒトの子どもを産みたい」と思う本能》ちゃうかな〜
と。
または
漢字は男が作った、といった説を尊重するならば
《「この女を身篭らせたい」と思う男性の本能》じゃないのか〜
と。
あと、
[好]という字には
〈心〉
が入ってません。
[愛]には入ってます。
そこからしても、
好きというのは心(感情)なのか?
それとも
人を好きなる事が【心】自体だから、字の中に心がはいってなのか?
などと、考えは止まりません。
とりあえず、
人を好きになるっていうのは
理由とか考えると
どうしても出てこないんですね。
人を愛するのには理由はありますが、好きになるのに理由ってないと思う。
自分が主体となって何かしたり、考えたり、思ったりと
どうこうしようとしても何も出来ない、不可抗力だと思う。
そういう意味でも
本能だと思います。
だれか好きな人がいるって時っていうのは、
いつの間にか
好きになってますよね。
いわば、
「好き」という言葉の前では
好かれる方も
好きになる方も
永遠に客体。
「好き」という本能が
人間の存在とは全く関係なく
宇宙の中に独りただあるだけの太陽。
僕は愛の温度を測っても何も感じないが
好きという本能には太陽の様な熱さを感じる。
なんでやねん。
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日本夢之助
(1) 『UP TO YOU』
2016年4月8(金) 19時45分開場/20時開演
場所・中崎町 BSQUARE(大阪市営地下鉄谷町線「中崎町駅」下車、3番出口あがったところのビルの地下1階です)
料金・500円
(2) 『UP TO YOU』
2016年4月15(金) 19時45分開場/20時開演
場所・中崎町 BSQUARE(大阪市営地下鉄谷町線「中崎町駅」下車、3番出口あがったところのビルの地下1階です)
料金・500円
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