2013/04/15

my Yuming #10『青春のリグレット』


松任谷由実「DA・DI・DA」(1985.11)収録 8曲目

YouTube ☞ http://youtu.be/6Du0aHT2pCs
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スナックかラウンジか判らないところにバイトで務めており

そこにはカラオケがあって
そのカラオケを僕も歌わされる事が多々ある。

カラオケについて
バイト先でのカラオケをまず挙げたのだが
無論そういう場面でなくたってカラオケは行く。

色々歌う中で松任谷由実の歌は、まあまあ歌う方である。
いや。

かなり歌う。

「松任谷由実が好きなら、歌う方もある程度上手くなくっちゃ」という、
立ち止まって考えてみると

周りに「別にそんな事ねぇよ」とも言われないであろう、
どうでも良い強迫観念を勇気に換えて
今日も僕はユーミンを歌うのである。

「私もユーミン好きです」という人は何人も見てきたが
なってない人が多い。
そういう人達は大体『春よ、来い』と『Hello, my friend』しか知らない。
本当です。

そして、『やさしさに包まれたなら』も知ってるけど
その『やさしさに包まれたなら』って曲名を
はっきり覚えてなくて、覚えてないからはっきり言えないのである。

『やさしさに包まれ…ながら?ながら、だっけ??』などと詰まっては
笑ってその場をごまかすのだ。

おれは笑わんぞ

で、結局「魔女の宅急便の、あの歌!」とか
「『ルージュの伝言』じゃない方の、」とか言うのだ。

「あっ、私もユーミンの歌好きです」と、とって付けた様に被せてくる人は
大体そんなところである。
そうに決まってる。

近頃では「あっ、私もユーミンの歌好きですよ」も怪しいと思ってしまう。
というのも「ユーミンの歌が好き」と「ユーミンが好き」は全く違うからだ。

「あっ、私もユーミンの歌好きです」という人が言わんとする本旨は
【あっ、私ユーミンの歌も好きです】である。
方や、

「ユーミンが好き」な人は
「ユーミンが好きな人」である。

【「ユーミンが好き」な人って他に何者でもない人】である。

昨日の来て下さったお客さんがユーミンファンだった。
ガチのユーミンファンだった。

慌てて「あっ、私もユーミンの歌好きですよ」とすり寄ってくる事もなく
世間的に全く知られてない『ダンスのように抱き寄せたい』を
タバコを咥えながら足を組んで座って堂々と歌ってらっしゃった。

淑女であった。
その淑女から昨日僕は賞賛された。

「それじゃユーミンの歌を歌いましょう」ってなって
僕は僕で自分が唄う歌を選んだ、その選曲が!
「この子分かってるわ」と賞賛を受けたのだ。

どストレートだったらしい。
どうやら、くすぐったらしい。。

まず『永遠が見える日』。

これに関してはスベりました。。
「初めて聴いた」言われました。

次『潮風にちぎれて』『魔法のくすり』

と、結局この2曲だけだったんですが、その淑女の反応は
ただただ静かに(うんうん)と頷くだけでした。(この子分かってるわ)の「うんうん」である。

頷く事しか出来なかった、と言った方が正確かもしれません。

粛々と。
淑女だけに。

でそれらの歌を僕が歌い上げる中で
「女心をこんなに分かってるの珍しいわ」から始まって
末は「あなた、相当ロマンチストね」と

ロマンチストの称号まで頂きました。
今年初めてです。

上記の2曲(『潮風にちぎれて』『魔法のくすり』)を選曲した事自体が
{選曲のセンスが良い}を飛び越えて
{女心を分かってる・相当なロマンチスト・彼女だったら喜ぶ}まで昇華した。

ただ僕は、「女心が分か」ってるのではないのです。
自分以外の他人の事が分かり、
《その「自分以外の他人」の中に偶然女も含まれている》から
「女心が分かっている」になるのである。

まぁ、その分自分の事が分かってませんが。全然。。
でも、自省してみると「ロマンチスト」というのは当たってます。
当たってますけど、実際その「ロマンチックさ」は何にもならないんですよね。。

悲しいことに
【思いの外『女』が現実主義で、男は許してもらえない】

って話がたいがいではないでしょうか。

そして、この記事を読んだ誰かは
「誰がロマンチストなの…」「どこが女心を分かってるの…」と

決して許さないのだと思います。

そこらへんの真理が描かれてるのが
『青春のリグレット』という曲で

簡単に言えば

【男の夢に結局付き合いきれずに振ったのだが振ったその男を時々思い出したり、
男の夢を男ほど信じずに振った事自体にも心痛めて後悔するのだけど、

かと言って別にその男の処に戻るわけでもない】現実主義な女の話です。

僕に言わせれば

思い出したり、後悔してるくらいなら
「また付き合ったらいいじゃん!!」って意見で

簡単な話そっちの方がよっぽど現実的な手法ではないか、と思うのだけど
そんな頃には女はとっくに女なりの現実に向いてて

「そういう話じゃないのよ」

と、いかにも慈悲無き、現実的な言葉で切って捨ててくるのである。
途中

 "普通に結婚してゆくの "  という歌詞があるが

結構究極的に端的な一句ではないか。
「あーあ、結局私も普通に結婚するんだろうな」

と、どっちかというと嘆いている訳だが
嘆きながらも、この女は結婚すると自分で確信してて

そのまま結婚するのである。

「結局最後に女が選ぶの」は【普通】なのである。
【肉まん】なのである。

「あんまん」じゃないんです。
僕もコンビニで働いた事あるが
そう言えば、あんまん買った女見た事ないですし。

《人口の半分を占める女が手に取らない「あんまん」が何故メニューに残るのか?》
と言ったら

【「あんまん」を買う普通じゃない(変な)男が結構居る】からである。

さらに悲しいのはここからで、
普通じゃない「あんまん」を選ぶような普通じゃない男はそこそこ居るから

「あんまん」自体は売れ残らないが、

「あんまん」を選ぶような男を選んでくれる女は居ないから
結局「あんまん」を選ぶような【普通】じゃない男だけが売れ残ってしまうのである。

何故「あんまん」を選ぶ男を女は選ばないのかと言えば、話が合わないからである。

「あんまん」を選ぶ事自体が現実的でアリエナイのに
いつまでも(あんまんも美味しいのに)と言ってる男は、はなっからアリエナイ、

ってな具合に話が合わないのである。


そういう事ちゃいますか、現実問題。。



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