平日の夕方6時半、家へ急ぐ数多のサラリーマンが行き交う地下鉄なんば駅。
その間を掻い潜り僕は日本橋駅方面へ急いでいた。
両駅をつなぐ地下街「なんばウォーク」は駅フロアより低く、
進入口のスロープでごった返す人並みに邪魔されながらも最大限に急ぎ下ってる最中、
目の前のカップルが
突然キスをした。
(なんばウォークのスロープでキスすな!)と突っ込みながら黙殺して追い越しながら、
その瞬間から僕の目に映る世界は
【なぜ、あの2人はキスしたのだ?】
というテーマで充たされた。
これは、
欲求不満な男のヒガミ、ではない。
(どこでキスしてんねん!)とは思いつつも、
(どこでキスしてもいいだろ!)という事は
紙一重、というか
背中合わせ、というか
もはや《同義》である。
それにはちゃんと納得しているのです。
本当です。
納得しておるのですが、
どんな行為も論理的な理由に基づいている、という考えのニンゲンなもんで、ずっと
(彼らはなぜ、キスをしたのか?)
(そういえば、男から誘ったんだっけ?)
(どっちなんだっけ??)
(女の方からだったかな?)
(アレは2人が同時にキスしようと思ったキスだったのだろうか?)
(片方がキスしたくて、
それをもう片方が瞬時に察してキスで応えたけれども、
別にしたかった訳じゃない可能性もある訳だし。)
(その場合、一見キスらしく見える両者の行為は果たしてキスなのだろうか?)
(え、俺欲求不満なん?)と…その日は、そういう疑問で彩られた出勤になった。
もし人生のサイクル、周期というものがあるとしたら、
とりあえず、今の僕は
(大勢の人の流れに足止め食らってる時に目の前のカップルがキスし始める)周期に入ってるようです。
もし人生のサイクル、周期というものがあるとしたら、
とりあえず、今の僕は
(大勢の人の流れに足止め食らってる時に目の前のカップルがキスし始める)周期に入ってるようです。
蛭子さん風に描くと…
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