2015/11/05

新解ロミオとジュリエット(4)「普遍性を与える与信装置としての法(理性)」


こんにちわ。



さて、ここ3回と私なりに古典「ロミオとジュリエット」を勝手なに解釈しておる訳ですが、

今回は作品の世界観と、作品が長く愛され語られる訳について迫って行こうと思います。



ロミオやジュリエット達が住んでいるヴェローナを治めているのが「大公」と呼ばれる領主なんです。

(領主、というかオーナーはローマ帝国で、そこに大公として任官されてるのか

又は、生え抜きの領主が居て、ローマ帝国の一地方官として任じられてるのか知れませんが)



①キャピュレット家(ジュリエット陣営)のティボルトがモンタギュー家(ロミオ陣営)のマーキューシオを殺し、

②ロミオがティボルトを殺す、という事態が起こった時に



その、ヴェローナの大公が自らロミオの罪と罰を自ら下すんですね。



この「ロミオとジュリエット」を読み(視)進めてると、判るんですが、

登場人物が全員狂っている、というかキテレツ(奇天烈)なんです笑



モンタギュー家とキャピュレット家の2家は365日24時間つねに戦闘状態なわけですから。



(この「ロミオとジュリエット」って作品は

モンタギューかキャピュレットか、どっちに同情すべきか、という選択をする話でもないんですが)



ティボルトっていうのが激情型で、敵味方関係なく暴力を振るうあたり、特にイタい奴なんです。

だから自然と皆さんも、どちらかと問われれば、大方モンタギューの方に同情されるんではないでしょうか。

ティボルトがマーキューシオを殺し、ロミオがティボルトに復讐して殺した時点で



各陣営の犠牲者は1人づつ、だし、

先にティボルトがマーキューシオに手を出して殺したんだから、ティボルトも殺されて当然だ!

ロミオに罪はない!

みたいな気持ちになると思うんですが、



大公は冷静で(というか、そういう刑法が定められていたのか知りませんが)

マーキューシオを殺したティボルトの罪と、ティボルト殺したロミオの罪は

全く別個のモノ、として



ロミオはロミオで

ティボルトを殺した罪を償わなければならないということで



ヴェローナからの永久追放下すんです。



(「大公様は寛大な処置を下された」という後の神父のセリフから考えて、

殺人罪に対しては死刑が下される刑法があったのかもしれませんが)



僕は、

この大公の処置が結構重要だと思うんです、

作品自体にとって。



もちろん、

ヴェローナからの永久追放のおかげで、後々のドラマティックかつ愚かな展開が繰り広げられる

っていう、話を展開させる「装置」としても機能してるんですが、

それとは別に



嫌悪や復讐、嫉妬などの野性的感情に流されず

ちゃんとした(法という)理性が働いてる(世界観)という点が

この「ロミオとジュリエット」という古典を、古典たらしめているところだと思いますし、



そういう点で、さっき言ったように

読者は

モンタギュー家とキャピュレット家のどちらに感情を与するか、という

しょうもない選択をするような話では、もちろんなくて



ただ、このヴェローナという地で繰り広げられた抗争の結末を傍観するだけでいい

と、シェイクスピアは言ってるみたいに感じます。



だから

「ロミオとジュリエット」という作品は

単なる、永遠の愛を描いたロマンティックかつ悲しくもある恋の話、ではないのです。



ロミオとジュリエットの2人に表現させた「永遠の愛」が普遍的な訳でなくて、

理性(法)という装置がちゃんと動いている舞台自体が普遍的なんだと思います。

「ロミオとジュリエット」を通じて、そんな喜劇的な人間社会を見てくれ、と

シェイクスピアは言ってるんじゃないのでしょうか?



「ロミオとジュリエット」の世界はカオスなんです。

ホント

マッドマックスの世界なんです。



全員が狂ってます。

全員が狂った事をするんです。



マーキューシオを殺したティボルトも狂ってますし、でも、殺されたマーキューシオも狂ってるんです。



そういう意味では、モンタギュー家の人々もキャピュレット家の人々も全員狂ってますし、

一見良心的な神父も、仮死作戦を画策・実行した辺り、クレイジーですよね。



ロミオやジュリエットにしても

出逢ってスグ結婚するのもアホですし、ティボルトを殺したのも「もっと冷静になれ!」とも思うし

自殺するのもバカです。



ただ一人、

ヴェローナの大公を除いては。



逆に、この大公がいるからしょうもない他の登場人物にクレイジー事をさせる事が出来るんだと思います。



この世界は、1㌫の理性と99㌫のご乱心なのです。



このような世界は、今、我々が生きている現実の世界と全く違うのか?

と問うてみると



そんなことなくて、

現実世界も一緒だなと思います。

我々も法律に触れないように触れないようにと



法律に触れない程度に無茶なことをしようとするでしょ。

やってる事は全員一緒です。



そういう点で「ロミオとジュリエット」の世界観は



一見クレージーなようで

実は普遍的で、



だから何百年もの間、消えずに語られる作品なんだなと思います。

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