こんにちは。
この間、バイト先でお客さんが
「凶悪犯罪事件で加害者側の弁護士の人間性ってどうなってんだ!?」
みたいな事を言っていたので
僕は
次のように考え、話しました。
証拠が出揃い、
明らかにこの被告はヤってる!みたいな凶悪犯罪事件でも
(私選)弁護士、国選弁護人は立てられるのだが
そういう状況を説明する理由は
僕が感じるのは
司法制度として、というのが1点と
勝てる、という可能性、ではないだろうか?
依頼を受けているってだけで
その弁護士の人間性も狂っている、っていう訳でなくて、
その弁護士も(こいつはヤってるな)と判ってても、
もしかしたら勝てるかもしれない、という可能性を見出せば
いくら凶悪な犯罪者の依頼でも受けるのではないだろうか?
ニュースなどで流れる被告(犯罪者)側の弁護人の控訴文や上告文など
聞いてたら気持ち悪いくらい違和感を覚え、
確かに人間性…云々を口にしたくなるが
私を含めニュースを見る世間は結局【人間性】という尺でしか事件を測らないから
そう思うんであって、
ああいう事件を弁護する時には
【人間性】というのを凌駕する、または別にする理由は
証拠、法律、お金(報酬)など
いくらでもあるだろう。
おわり。
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