2013/04/29

戒め 〜やっぱ競馬は心だよ〜ん!〜

昨日の天皇賞を視に京都競馬場へ行って来た。

超が付く程(1番)人気のゴールドシップが負けた。
3コーナー前位で、後方から上がって行くには行ってましたが

内田騎手が目一杯追ってても、手応え最悪でしたね。

そのゴールドシップを一着固定で買ってた僕も自然、負けである。。
9レースで中てたプラス分の範囲での投資だったのでトータルは±0ですが

そういう事じゃないんです!

レース後は反省の嵐でした。。
馬券を外したから?

違うんです!心の声をお聞き下さい。。


「だって、フェノーメノ(優勝馬)好きだったやん、自分!」(29歳男性・大阪)

「3歳にして天皇賞で古馬に挑戦したフェノーメノ、好きだったやん!」
(29歳男性・大阪)

「それが菊花賞・有馬勝っただけの馬に何でそんな簡単に目移りすんの?」
(29歳男性・大阪)

「根本、好きな馬を何で信じんかったん?」(29歳男性・大阪)

「不義理やで、ハッキリ言って」(29歳男性・大阪)

「どのツラ下げて歯ぁ出して歩いとんねん」(29歳男性・大阪)


お分かりの通り、全て心の主の心の主による心の主に向けられた「クレーム」です。

好きな馬を信じきれずに利益に走って外した時の消化不良たるや、
お金の問題じゃないだけに、精神的に超不健康です。。。

僕にとって、競馬はやっぱ『』なのです。
最後に『戒め』を自らに課すとここに宣言します。
例えばこちらの絵。


これは「徳川家康三方ヶ原戦役画像」、通称「顰(しかみ)像」といって
その昔、徳川家康が武田(信玄)軍に敗走して帰還した時に
相手の誘いに乗って多くの部下を失った自分に対する戒めとして書かせた絵です。

今回
好きな馬信じずにお金に走って外した、

そんな僕にもこういうものが必要だと思い。。。




『戒め』




『反省』の意を込めまして…






『猛省2013〜spring〜』(photo by 桂三河)


宝塚(記念)はフェノーメノ!!とジェンティルドンナ。

2013/04/26

ワクワクチンチン

毎日新聞 社説(2013.4.25付) 「風疹大流行 社会全体で対策とろう」より
http://mainichi.jp/opinion/news/20130425k0000m070140000c.html

カラダが丈夫過ぎて(心弱いですが)、
病気に一切見舞われることがない境遇なもんで、

『ワクチン』というものが一体どんな形をしているのか知りません。

「ウイルス」は
インフルエンザ等の報道でTVでよく見かけるので知ってるのですが。


『ワクチン』は全く知らなくて、子どもの頃から
(きっとこんなんなんだろうなぁ)って寝る前、布団の中で考えたりします。

僕が夢見る『ワクチン』



・「ウイルス」に、割と似ています
・基本白色。少しだけ青が混じっている
・冷たい
・"ふわふわ"してて柔らかいです
・15gくらい
・医者からこのまま手渡し
・服用方法は「食べる」
・勇者が似合う(注・あくまで僕の中では)



何より、無病息災・ワクチンなどこの先視ることがない、というのが一番です。。

2013/04/25

ほうれん草、高ないか??

海藻ちゃうよ、





ほうれん草(福岡)、1束180円、高くないですか??

正確には…高くなってませんか??
JAの誰か視てー

最近の家食の主力なので2束買いましたけど。





この写真で、(あっ、結構土付いてたんだ)と気付きました。もう食べた後ですが。。




キレイな主婦の皆様の共感を得ようと媚びたブログでした。おわり

2013/04/22

刹那ひよこ

天王寺のデカい交差点上に建設中の歩道橋にて


手前味噌ですが、

ひよこちゃんです。。
前にも書きましたが(←「人工物が好きっ!」)

少しの間(工事期間)だけでも通る人が憩う事を願って設けられた人工物が大好きです。
全く関係のない他人の事を想う、人間の優しさみたいなものを感じられるからです。
あこがれ、とでもいうのでしょうか。

でも、そういうモノに対して微塵の優しささえ感じようとしたり、憧れているってのは
自分に他人への優しさや関心がないからに違いないが、

しかし、そこから先どうすればいいかは、取り敢えずワカラン。

話は戻って...
このひよこちゃんは歩道橋が完成すれば居なくなってしまうのです。

なんと不条理な世の中なんだ!そんな事なら完成しなきゃいいのに、

とは思ってはイケナイ。
交差点に(歩道)橋を渡すという、利便性追求自体がそもそも

人間の、人間への優しさなのだから。

2013/04/21

自然の偉大さ

「自然の大きさに比べたら自分の悩みなどなんてちっぽけなんだ」的なセリフが大っキライです。


山の頂上や



DVDなどで



「自然の偉大さを改めて思い知る」って事は


割と耳にするのだが

そのちっぽけな悩みはちっぽけなまま消えずに在りますし。。


別に思い知った所で自然の偉大さは実生活に何一つもたらしません。と思い知る日々。

2013/04/18

my Yuming #11『魔法のくすり』

こんにちは。今回紹介させて頂く曲は


1980年発表のアルバム「流線形'80」に収録の『魔法のくすり』です。
YouTube ☞ http://youtu.be/cofeKnx2cFo

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いきなり「なんや!?」と思われるでしょうが…

僕はユーミンに一言云いたい!
「それを言ってしまいますか?」と。

ホントね、立場が弱い男からしたら

「アカンアカン!そんなん言うたら、」
って慌てて止めに入りたくなるような事が書かれているのです。

というのは、この『魔法のくすり』は

大麻とか覚せい剤とかスピードとかそういうクスリじゃなくて恋のクスリ、
恋愛に悩む乙女へのユーミンからの処方箋なんですね。

最後も
"眠れ今宵 魔法のくすりで"
という結びですが、ロマンチックな性質のものは一切ナシ。簡単に言えば

「結局は男なんて、女なんて、恋愛なんて、その程度のものだから
悩むほどのものじゃない。割り切って付き合いなさい」という、

それ言ったら終わりやで、って事が書かれてます。

そりゃ女は眠れるかも知れんが、
男は寝られへんで。。

冒頭の

"恋の悩み答えられるほど 火の粉くぐって来たわけじゃないんだけど"
にも

「そこまで達観してたら別に火の粉もくぐる必要もないわ」と
突っ込みたくなります。
核心は次の二行。。


だから所詮おんなじ気持ちで求め合ってるいると思っちゃいけない "


さめたふりをして ふいうちをかけて 欲しいものは欲しいと云った方が勝ち "


これは駄目やわ、ルール違反だわ。

何がルール違反って
それを《言う事》がルール違反ね。

確かに真理かも知れんけども、
それは暗黙の了解として置いといて、って話。
口に出したら駄目、というか困るというか。。

そんなもん、あかんで。。
それをさらに節付けて歌うなんぞ、言語道断!

カップルが一緒に聴いたら「え、そうなの?」って気マズくなりますやん。

まぁでもね
確かに

おんなじ気持ちで求め合ってる、って訳でもないってのは本当に分かる気がする。

例えば
男女お互いがそれぞれ10の手(条件)を持ってたら

1つでも合って結婚に至る事もあるのだろうし、
9つ合っても付き合わない事もあるだろう。
「別に同じ気持ちで求め合ってる」って事が別に騙しあってるわけではなくて、

10の手の内たった一つでも合った時に
もし、各々が(各々違った)幸せを感じれたら

それが【「2人の幸せ」って事になる】のだと思う。

利害の一致というのかな。ホント、契約だなって。
そういう風に考えれてしまう自分自身が、今では少し薄ら寒いのだけど。

最後に、

集英社から出てる松任谷由実歌詞集『371+1』にも勿論載ってて
そこでは【不思議】という章に分類されてるのですが…

こんなに真理突きやがって、どこに(不思議)が残ってんねん、全部解決しとるがな。

強いて言うなら
そういう事を全部言っちゃうユーミンの神経が不思議だ。

まぁあくまで、男側からしたら、って話だけど。。


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my Yuming    残り362曲

2013/04/17

購買選好をねじ曲げるタレント力

朝からおはようございます。


朝だからおはようございます。

朝から何ですが、洗剤を変えてみました。


長い間使ってた『アクロン』から『エマール』へ。



僕の独り生活の中で伝統になっていました『アクロン』ですが


そのような伝統は易々と破壊されました。

『エマール』のPOPに写ってた剛力彩芽によって。。


「ヒトの選好を変えたタレント力」というものを身を以て体感しました。


あと、

伝統というものが


『剛力彩芽』乃至『可愛い女の子』の前では如何に脆いか、というのを思い知りました。

2013/04/15

my Yuming #10『青春のリグレット』


松任谷由実「DA・DI・DA」(1985.11)収録 8曲目

YouTube ☞ http://youtu.be/6Du0aHT2pCs
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スナックかラウンジか判らないところにバイトで務めており

そこにはカラオケがあって
そのカラオケを僕も歌わされる事が多々ある。

カラオケについて
バイト先でのカラオケをまず挙げたのだが
無論そういう場面でなくたってカラオケは行く。

色々歌う中で松任谷由実の歌は、まあまあ歌う方である。
いや。

かなり歌う。

「松任谷由実が好きなら、歌う方もある程度上手くなくっちゃ」という、
立ち止まって考えてみると

周りに「別にそんな事ねぇよ」とも言われないであろう、
どうでも良い強迫観念を勇気に換えて
今日も僕はユーミンを歌うのである。

「私もユーミン好きです」という人は何人も見てきたが
なってない人が多い。
そういう人達は大体『春よ、来い』と『Hello, my friend』しか知らない。
本当です。

そして、『やさしさに包まれたなら』も知ってるけど
その『やさしさに包まれたなら』って曲名を
はっきり覚えてなくて、覚えてないからはっきり言えないのである。

『やさしさに包まれ…ながら?ながら、だっけ??』などと詰まっては
笑ってその場をごまかすのだ。

おれは笑わんぞ

で、結局「魔女の宅急便の、あの歌!」とか
「『ルージュの伝言』じゃない方の、」とか言うのだ。

「あっ、私もユーミンの歌好きです」と、とって付けた様に被せてくる人は
大体そんなところである。
そうに決まってる。

近頃では「あっ、私もユーミンの歌好きですよ」も怪しいと思ってしまう。
というのも「ユーミンの歌が好き」と「ユーミンが好き」は全く違うからだ。

「あっ、私もユーミンの歌好きです」という人が言わんとする本旨は
【あっ、私ユーミンの歌も好きです】である。
方や、

「ユーミンが好き」な人は
「ユーミンが好きな人」である。

【「ユーミンが好き」な人って他に何者でもない人】である。

昨日の来て下さったお客さんがユーミンファンだった。
ガチのユーミンファンだった。

慌てて「あっ、私もユーミンの歌好きですよ」とすり寄ってくる事もなく
世間的に全く知られてない『ダンスのように抱き寄せたい』を
タバコを咥えながら足を組んで座って堂々と歌ってらっしゃった。

淑女であった。
その淑女から昨日僕は賞賛された。

「それじゃユーミンの歌を歌いましょう」ってなって
僕は僕で自分が唄う歌を選んだ、その選曲が!
「この子分かってるわ」と賞賛を受けたのだ。

どストレートだったらしい。
どうやら、くすぐったらしい。。

まず『永遠が見える日』。

これに関してはスベりました。。
「初めて聴いた」言われました。

次『潮風にちぎれて』『魔法のくすり』

と、結局この2曲だけだったんですが、その淑女の反応は
ただただ静かに(うんうん)と頷くだけでした。(この子分かってるわ)の「うんうん」である。

頷く事しか出来なかった、と言った方が正確かもしれません。

粛々と。
淑女だけに。

でそれらの歌を僕が歌い上げる中で
「女心をこんなに分かってるの珍しいわ」から始まって
末は「あなた、相当ロマンチストね」と

ロマンチストの称号まで頂きました。
今年初めてです。

上記の2曲(『潮風にちぎれて』『魔法のくすり』)を選曲した事自体が
{選曲のセンスが良い}を飛び越えて
{女心を分かってる・相当なロマンチスト・彼女だったら喜ぶ}まで昇華した。

ただ僕は、「女心が分か」ってるのではないのです。
自分以外の他人の事が分かり、
《その「自分以外の他人」の中に偶然女も含まれている》から
「女心が分かっている」になるのである。

まぁ、その分自分の事が分かってませんが。全然。。
でも、自省してみると「ロマンチスト」というのは当たってます。
当たってますけど、実際その「ロマンチックさ」は何にもならないんですよね。。

悲しいことに
【思いの外『女』が現実主義で、男は許してもらえない】

って話がたいがいではないでしょうか。

そして、この記事を読んだ誰かは
「誰がロマンチストなの…」「どこが女心を分かってるの…」と

決して許さないのだと思います。

そこらへんの真理が描かれてるのが
『青春のリグレット』という曲で

簡単に言えば

【男の夢に結局付き合いきれずに振ったのだが振ったその男を時々思い出したり、
男の夢を男ほど信じずに振った事自体にも心痛めて後悔するのだけど、

かと言って別にその男の処に戻るわけでもない】現実主義な女の話です。

僕に言わせれば

思い出したり、後悔してるくらいなら
「また付き合ったらいいじゃん!!」って意見で

簡単な話そっちの方がよっぽど現実的な手法ではないか、と思うのだけど
そんな頃には女はとっくに女なりの現実に向いてて

「そういう話じゃないのよ」

と、いかにも慈悲無き、現実的な言葉で切って捨ててくるのである。
途中

 "普通に結婚してゆくの "  という歌詞があるが

結構究極的に端的な一句ではないか。
「あーあ、結局私も普通に結婚するんだろうな」

と、どっちかというと嘆いている訳だが
嘆きながらも、この女は結婚すると自分で確信してて

そのまま結婚するのである。

「結局最後に女が選ぶの」は【普通】なのである。
【肉まん】なのである。

「あんまん」じゃないんです。
僕もコンビニで働いた事あるが
そう言えば、あんまん買った女見た事ないですし。

《人口の半分を占める女が手に取らない「あんまん」が何故メニューに残るのか?》
と言ったら

【「あんまん」を買う普通じゃない(変な)男が結構居る】からである。

さらに悲しいのはここからで、
普通じゃない「あんまん」を選ぶような普通じゃない男はそこそこ居るから

「あんまん」自体は売れ残らないが、

「あんまん」を選ぶような男を選んでくれる女は居ないから
結局「あんまん」を選ぶような【普通】じゃない男だけが売れ残ってしまうのである。

何故「あんまん」を選ぶ男を女は選ばないのかと言えば、話が合わないからである。

「あんまん」を選ぶ事自体が現実的でアリエナイのに
いつまでも(あんまんも美味しいのに)と言ってる男は、はなっからアリエナイ、

ってな具合に話が合わないのである。


そういう事ちゃいますか、現実問題。。



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