2015/01/27

借りてきたDVDを前にして

先日


TSUTAYAで旧作DVDのレンタルが100円だったので、

コミックも含めて色々借りました。





コミック
・アオハライド(1)〜(3)
・海月姫(1)
・俺物語!!(1)
・白暮のクロニクル(1)
・弱虫ペダル(36),(37)
・キングダム(1),(2)


どれも面白う御座いましたm(__)m



DVD
・カリオストロの城
・借りぐらしのアリエッティ
・仁義なき戦い(1),(2)
・ミナミの帝王(1)
・善徳女王(3)




DVDの方は、このまま視ずに返しそう



ってなくらい

視る気が全く沸き起こりませんー



作品のせいじゃなくて、

部屋でじっと視続ける事が出来ないのです。

本を読むのにじっとは出来ますが、映画はなんか無理なんです。



それと、

面倒くさいのです。

何がどう面倒くさいって

DVDをケースから取り出しセットする、あの作業が面倒くさいのです。



その点

本は

パッと表紙をめくるだけで物語に入り込めるのです。

マラソンと50m走くらいの差を感じます。

それくらい面倒くさがりーなのです。



これだから映画は劇場で「視なければならない」と思うのです。

いや、

改メ「視ておかなくてはならない」と思うのです、

僕は。



なんで借りたんでしょうかね?

何で借りたんだろうか?

と、



返却予定日前日になって

まだ視ずの膨大なDVDを目の前にして

思う事が日常茶飯事です。

でも止められません。



何視よ?とDVDを選ぶのって、何であんなにワクワクするんですかね?

まさに金曜日の夜。まさに14番目の月。

メニューの写真に夢みたほどのパンケーキが出て来た試しがあろうか!



旅行の計画立てるみたいな楽しさを感じます。

アレって、きっと現実じゃないんだと思う。



現実逃避であり、そしてソレは極めて甘美な弛緩の行為だ。

思い返しても、確かに快楽しかない。

それとあと、愉悦と。



そして、そこがいつもクライマックス。

そこからの【実際】は、もう現実で、はっきり言って、テンションはもう下降線っす。

行為ソレ自体の行程ではいつも既に醒め始めている。



もうこうなったら、

【寸止め】で済ませてしまおう、と思う事さえあります。



TSUTAYA行って



ふっふ〜ん♬とか何とか言って鼻で奏でながら

何視よ?と自問自答して



いっそ何十枚くらい手にして、レジに向かって歩いていき、、、

で、そこで終了。

って遊び。



あとは、レジを素通りして

CDコーナーのJPOPカヴァーかヒーリングとかの後ろの棚から廻ってDVDコーナーに戻り



手にしたDVDを元に戻していくっていう、そういう遊び。



おれは、それは楽しいと思う。

でもちゃんと借りて、それをちゃんと視ても、楽しいと思う。だから、



今目の前にある、借りて来たDVDに関しては、視た方が良いって事なんだろう。嗚呼面倒くさ

2015/01/13

いつだって中間情報

データ開示

日経1/13 夕刊 見出し
「加工食品の6割値下がり 去年のスーパー(日経調べ)」




統計等々のこういうデータの発表って



最終的な目的・結果にどのような結果をもたらすのか、

っていうのは毎回気になります。



その発表や開示という行為自体が、その後に及ぼす影響っていうのは

絶対ゼロじゃないハズだからです。

これにしたって



このデータに引っぱられる人はいるハズなんですよね

「なんだ、周りって結構高い値段で買ってるわけじゃないんだ。

そしたらウチも、もう少し手控えてもいいかな」

と購買に対して慎重になると思う。



これは

一定の物価上昇を政策の目的にしている為政者にとったら邪魔でしかない。

選挙の時の投開票日前の新聞社調べもどうかと思うよ。



「◯◯党が圧倒的に優勢か?」

とか

「◯◯席維持!」

など、



調査の精度は疑わないが、

事前のそういうデータに引っぱられる人は絶対に居るって!

だってみんな、自分の一票を有効に行使したいじゃん。



そういう時にあんなデータ見せられて誰が他の党に入れようか?

上掲のデータに関しても



自分のお金を有効に使いたいとみんな思ってる訳だから、

そういうデータは事実は別にして

それに引っぱられて値下げ圧力はさらに加速するんじゃないだろうか。



何でもかんでも情報が開示されていくというのは、何を意味をするのだろう?

データが人々をどこかに導き、また新しいデータを作っていく。



情報というのは、いつだって中間情報なのです。

2015/01/12

キスがキスでよかった

僕ね



日本におけるキスの歴史って興味あんの。

そもそも、キス(kiss)に相当する日本語は未だに「無い」んじゃないか、って思う。



え?


口づけ?


う〜ん、


それも響きに色気があって良いんだけどさ、


でもそれ…


え?


他に?


いいよ、言ってって


ん?


接吻?


なんか古臭いんだよね、ソレ


口吸い?


口〈で〉吸ってんのか口〈を〉吸ってんのか一瞬考えちゃう


口受け?


なるほどね、キスされる側の立場から名付ける訳ね。〈受け口〉って言葉もあるしなぁ


口食べ?


まぁ、食べるように激しい奴好きだけど


ベロ入れ?


毎回入れる訳じゃないからね。







却下。



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経緯

こんなことを考えるに至った経緯は「小説」である。

色んなジャンルを読むのですが、とりわけ多いのは歴史小説です。

歴史、

というのは

血の話なんです。


とりわけ信長とか家康など戦国時代の小説を読むと

誰が誰の子で、この人は誰々の側室の子で、、、

などと

特に「血」の意味合いが強くなります。


暗に隠れるセックスというものを意識してしまうのは僕だけだろうか?

別にセックスの描写がなければならない、という事ではないが、

ないならないで、それも嘘くさい感じがする。


司馬遼太郎もそういうセックスの描写があるのですが、本人達の行為を直截的に描く訳じゃなく、

周りの状況で言い表し、行為のかなり早い段階で打ち切るかなり婉曲な表現です。


池波正太郎は比較的生々しい。官能小説としても機能すると思う。

キスの場面もある。っていうか行為が大概キスから始まります。

(勿論キスとは書かないが。)

そういう一々のセックスの場面は作者のフィクションだろうが

仮にそれを信じるとして

「昔の人はキスをしてたのだろうか?」と考えてた僕は

(あ、昔の人もキスしてたんだ)と感じたのだ。



皆さんは「そりゃしてただろ!」というでしょうが

衛生的に、とか宗教的に、とか言って

キスの行為が忌むべき行為としてた可能性も僕はとりあえず否定しないのだ。


【写真で魂が抜かれる】と思い込んだ国民だから

【口づけで魂が抜かれる】と考えないとも限らない。

(魂が抜かれる思いのする凄いキスはあろうが、それは骨抜きである。)

とにかく

池波正太郎のセックス描写はセックスの時の吐息を感じ暖かい、それはそれは素晴らしい。

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だって思うにさ、



例えば口づけにしても

「キス」っていう行為を叙述しただけの動名詞に過ぎないモノなんじゃないかな?



創意工夫がないというかさ、キスっていう行為の為だけの新しい日本語が必要なんじゃ
ないかな。



そもそもキス(kiss)って英単語もそうなんだろうけどさ。

調べて出て来た他人のブログによると、なになに



語源は「味わう」

らしい。

だから、kissっていうのは



向こうの人にとっては「味わい」っていう風に聞こえてるかもしれない。

我々にとっての『Kiss me』は

向こうにしてみれば『キスして』じゃなく

『「味わい」して』って事かもしれない。



向こうの人にとってのkissと日本人にとってのkissは違うのである。

でもその「味わう」は

ただ語源ってなだけで



逆に今、和英辞典で「味わう」から調べても、勿論kissとは出て来ないのである。

だから現状としては、向こうの人にとっても



kissっていうコトバはkissって行為のためだけの言葉になってるはずなの。





【でもホントに、向こうの人はどう思ってるんですかね?kissっていう行為にkissというコトバが充てられてる事をどう思ってるんですかね?もしかしたら意外とダサいと思ってるかも知れない。どうなんでしょう?今度外人と話す機会があったら聞いてみよう。】



以上の事を踏まえて考えると…

僕は



日本人は向こうの人以上にキスっていう言葉に幻想を抱いていると思うのです。

というか、ロマンを感じていると思う



少なくとも僕はそうです。

キスがキスで良かったと思いますもん。kissという英語にマジ感謝です。



キスという言葉の成り立ちは

キスの行為が始めにあって

それにキスっていう言葉を充てる、って流れなんでしょうが、



今では逆に

キスっていう言葉の《響き》、kissっていう《綴り》の爽やかさが

キスという行為を成立させていると言っても過言ではないはず。

日本人にとっては特にそうなんじゃないかな。



行為と言葉が互いに支え合ってる凄く良好な関係である。

それぐらい、キスって言葉の素敵さは完璧なのである。

日本語として養子に貰いたい位である。



「この子ええ子やわ〜見どころがあるわ〜、今の時代になかなかおらへんで。ウチに養子にけーへんか?」

ってな感じで



「日本語としてウチで最初からやってみーひんか?」とホントにスカウトしたい。



キス…語源は英語のkissだが、21世紀初頭に日本語になった。

みたいな。



現実は、キスは英語なのだが。しかし!



もはや「口づけ」だの「接吻」だの「口吸い」だの

ダサい日本語で言い表している時代ではない!



それらに代わる、キスを言い表す全く新しい、

それでいて

聞いて直ぐ日本語と判る日本語らしい響きをもつ、日本語。



ん?


まだあった?言ってみて


チュウ?


チュウで止まらへんやん。チュウはチュウって音が聞こえる範囲内のキスの事!


グチュグチュ聞こえる時もあるし


ジュポジュポ行く時もあるし。


ドゥルンドゥルン鳴ってる時もあるし。




も〜〜、却下。



あ、


今流行ってる、ラッスンゴレライ、



あれでいいんちゃう?