2011/10/30

my YUMING #3『時をかける少女』


『VOYAGER』(1983年)収録

この曲を僕は繰り返しずっと聴いて居られる。
何回も、何回も。こんな乙女な曲を何回も、なんて、

自分はもしかして少女かも、と気持ち悪い限りだが。
原田知世と、松任谷由実と
どちらも素晴らしい!

まず歌詞に撰ばれている言葉、映し出される風景が
全て、気持ち悪いくらいに美しい。
<愛は輝く舟>とか。<空は宇宙の海>とか。
たしかに、少女の不安は孕みつつも

その裏返しである願いが全編に亘って綴られていて
不幸だとか、ドラマチックな展開を匂わす悪い事案が
一切ない。
よくある商法的な・いやらしさも無く
そこが凄く良いのである。

かといって、敢えてそうしているのでなくて、
ただ、無駄が一切無い、最小限で充分なのだ、
〔時をかける少女〕の、運命の男(ヒト)への想いを
表すって時に
ドラマなど必要じゃなくて
懐かしさや夢を色とりどりの綺麗な言葉を並べてる、

という潔さがいい。
聴いてるこっちも幸せな気分になるわ。
で、タイトルが<時をかける少女>だから
内容は、その少女を客観的に描写していくんかと思ったら
<少女>自身の、一人称で進行するんですね。
そして、歌詞の中で唯一、
サビの一節「時をかける少女」部分だけは

アングルが替わって
客観的に、ひとりの少女を撮し、
すぐまた、一人称の目線に戻るんです。
だから、どうなんだっていう話なんですけども。
で、映画の【時をかける少女】って
原田知世出演のと、アニメと、仲里衣さバージョンのものと

三本ありまして、全部買いましたよ。
だって、しょうがないじゃん!
それぞれストーリーが違うんで
どれが良いって
比べるものではないんですけど、

やっぱり原田知世さんは凄く可愛い!
その凄まじさたるや。
ブレンディだけでいいのか?
ネスカフェもやって欲しい!

特に、エンドロールが最高です。
主人公の和子(原田知世)が
「時をかける少女」を(カメラ目線)で口ずさみながら

想い出の場面を巡っていく、というね。
ただ、注意!

そのエンドロールだけ観ても駄目ですよ。

それはただの変態ですから。
本編をちゃんと観てからの、エンドロールなのです。

まぁ、話は逸れましたが、
「時をかける少女」
美しい情景しか浮かばない歌詞、

そして、それにバッチリな曲調、
これさえあれば僕らも

いつだってタイムリープできます!

You Tube⇒http://www.youtube.com/watch?v=t34kGmzN4jM&feature=youtube_gdata_player
歌詞⇒http://www6.airnet.ne.jp/satoumc/cgi-bin/kashi.cgi?ARG1=0150&ARG2=10

my Yuming 残り370曲

2011/10/24

悲しいほど三冠


オルフェーブル号様 三冠達成

ほんと、おめでとうございます。
ああいうゴール場面は、ほんと涙が出そうにぐっとくる。

僕の場合オルフェーブルに乗り遅れて、
最近はレース結果を確認するだけでしたが
それでもね、あのオルフェーブルは、レース見ると

どれも『力』を感じる。
同じ三冠馬のディープインパクトのレースも
力強さを感じられるのは
皐月賞だけなんですが、僕的に。
それは紐解くと結局カメラワークっていうのも一因で

圧倒的に注目されてる場合
特に右回りの京都や中山のレース。
公平性を侵した様なカメラワークが見受けられる!
その注目馬が直線で抜け出してもない

3、4コーナーのごちゃつく場面で既に
ズーム気味に寄ってたり
何となく自然に目が行ってしまう構図で撮られてたりする。

ま、いいんですけどね、いかにも強く見えるから。
それはディープの皐月賞に然り、この度の菊花賞に然り。

とりわけオルフェーブルは、全てのレースが力強い!

映像的には、
今回の菊花賞の、3~4角での圧倒的なまくり方。

ムチ入れてると思うが、入れてないかのような
馬自身の「勝つ」意志が見えます。
そして直線入るくらいには先頭に並びかけてる

ドライブ感!加速感!僕も見習わなあかんな、と思いました。
一方、その頃南港では..

特殊メイクコンテストで胸ぐらつかまれて...(注:写真上の演出)

2011/10/19

今日の?コトバ 『オートクチュール(haute couture)』


こんにちは。

新シリーズは(一緒に言葉を知っていきましょう)
ということで打倒Eテレをスローガンに。

その名も「今日の?コトバ」。
何故、疑問符かと申せば、
別に[今日のらしい]言葉である訳じゃない、からです。

とか
専ら女性誌を読ませて頂いてるんですが、
特に、よく出てくるのが
『オートクチュール』!!

また、そういう業界では
『オートクチュール』が当たり前だから
改めて説明してくれることも無く...
料理本の(一番ダシ)みたいなもんで、料理以前に
「その一番ダシが分からんねんっ!」って時がある。

それでその『オートクチュール』が分からんまま
(メイク道具なのかな?)
とか
(ストロー吸ってそうな響きだな)と

役にも立たへん勝手なイメージをば
いくつも並び立てては無為に過ごしてきました。
こんなもん、すぐ調べて次行けって話や...マジで。

調べましたら、フランス語で
[高級衣装店]だそうです。

当シリーズは、NHK・Eテレと競合しております(自称)。

教育的な面と
オチを求めていない面で。

世の中の人が『オートクチュール』で迷わないように☆

2011/10/17

おいしい生活 ~今回これ最後になるかも、ってくらい~


『おいしい生活』最新号は...

梅田は大阪駅前第2ビルの地下2Fに佇む、
《豚々亭》です。

ここのトンテキ定食が
美味過ぎて..
ガチで。

いや、他に
豚もやし鍋定食やショウガ焼き定食等
豚豚しいメニューもあるけど、
何と云っても、トンテキ定食!

(えっ?この厚さでこのやわらかさは何!?)
柔軟剤かと思いました。
(注:勿論ちゃいますぜ) 特殊な製法でしょうな?
そんなことはどうだっていい!
いつものヤツが出てきてくれたら!それで。

今までも「これが美味い!」と喧しくやってきましたが
今回はね...レベルが違う。
なんせ
新しく美味しいお店を開拓しようと思わなくなるんです。

「今日もここでいいか」と、ほんと毎日食べても飽きない!
現に、見つけてから結構な頻度で行ってますもん。
少ない蓄え、殆どこれで消えましたわ。

これさえあれば9杯10杯当たり前でんがな、ご飯。
ま、2杯だけだけど、いつも...。

でもそれくらいってこと、気持ちは。本気マジ本気。

2011/10/16

《伝説 》について ~その後の『未来は霧の中に』~

どうも、こんばんわ。

別に誰も読みたかないだろうけど。
(別の話もって来いよな)と、

(少なくとも違う曲にしろよな)と。
そんな声が聞こえてきそうなだけに、
余計に。

冒頭の【Faubourg Saint-Honore】という、
聞いてなんのことだか理解出来ない感覚、
その、僕自信の中のインパクトが
惹き付けられた理由と前回書きまして。

またね、
その名詞の歌い方が
乱暴に放ったような感じで、良いんです(絵文字)
ただその言葉を口にしたいためだけに口にした感じ。

【Faubourg Saint-Honore】という言葉と、
メロディーと、その歌い方よ!
ラグビーボールを放られたような心地。
そのストリートの説明が〔伝説の並木通り〕で、
それだけなんです。

もう、次の節で
「古い雑誌めくれば カルダンetクレージュ...」
と続くんですよ。
また【伝説】という言葉を使うところが、僕的には
なにか松任谷由実らしくない感じがしたんですね。
それだけに、この【伝説】と いう言葉が

僕には気になったんです。
歌のなかでの意味も、
昔から人々の間で云い伝えられている、という、
ごく一般的なニュアンスしか持たないはずだが、
ここでは、それだけの補足で十分って事なのだろう。
【伝説】って言葉の事を、こんなに考えた事はないです。
日常ではそう聞かない言葉だが

マンガやゲームのタイトル・副題によく目にし
何か仰々しい演出を醸し出すワードには最適で、
なのに!
物事を修飾するに当たっては
【伝説】という言葉は基本、頼りないんですよね。
【伝説】単体だと、

(昔から人々に言い伝えられて)だけで
それ以上でもそれ以下でもない。
そしたら次の問題は、どう伝説か、ってことになる。
そうなると【伝説】って単語...要らんやんってなる。
結局【伝説】って何も説明出来てない、

見かけ倒しの言葉である。
この『未来は霧の中に』に出逢わなかったら
こんなにも【伝説】という言葉について考えてないだろう。
まぁ

ユーミンもこの言葉にここまで重きを置いてないと思うが。
でも、僕の場合
引っかかっちった!

そして
この曲が終わると自然と口から

「青いエアメイルが~」

と次曲の冒頭の歌詞が溢れそうになれば
あなたも上級者である。

やはり、そういう聴き方をしなければあきませんね。
つまり...
オリジナル・アルバムで聴け!

私見:結局のところ、[古い雑誌めくれば]は
[カルダン~]にかかるはずなので

今の私が《Faubourg Saint-Honore》に居るってこと!

2011/10/12

人工物が好きっ!


どうも。

久しぶりに
更新させて頂く訳ですが

趣味嗜好は
この歳(27)になっても
変わっていく一方で

出来れば
それが《進化》であって欲しいと、
切に願う日常。
今回載せた写真は、

神戸港の或る工事現場の柵?に施してある
コミカルなサルが装飾なんですが、
(少しでも楽しませよう)っていう、
誰かの意志が感じられて
何とも優しいですよね。

前までは
「工事とサルと、関係ないがな」
と片付けるだけだったのですが、
いつの間にか、人間が変わったように
人工物を愛でるようになっていたので
ござんす。

無機質なモノでも
人工物というのは
人が
より快適に使えるように、とか
利便性を改善しようとした意思の結晶でして、

道具でもなんでも。
そういう、人の優しさが散りばめられている
人工物は
尽く、何か、好きである。

それで、
僕自信に関していえば
人の優しさとか

そういうモノを求めている時点で
歪んでるというか、異常というか...

ありゃ?