2015/11/02

新解ロミオとジュリエット(3)「生き残った者の問題」

前回から続き
新解ロミオとジュリエット(1)
新解ロミオとジュリエット(2)

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ロミオとジュリエットについて世間的に語られている悲劇的な部分って、



ロミオとジュリエットっていう2人の《愛》がすごくフリになってるから

ああいう結末が



「なんて悲劇的なんだ」

とか

そこから転じて

「でも、永遠の愛だ」

とか

「2人は愛を貫いた」

とか

「あの世で一緒になった」



などという、《悲恋物語》として語られ易いんです。

でも、それは生きてる我々が勝手に



【(あの2人は死んでしまったけど、きっと、愛し合っていた) という事にしたい】

という、

ポジティブなワガママ解釈に過ぎないのではないでしょうか。



だって

実際、2人は死んでるんだから。



多分、2人もあの世で

「いや、こっちは死んでんねん」

って突っ込んでると思います。



いや、そもそも架空の人物ですから

そういう突っ込みさえもないのでしょうけど。



死者にあるのは「死」という事実だけで、

意思も

色も



熱も

なんにもない、



生きている者にとったら。



ほんと

キリスト教にしても仏教にしても、宗教というモノには



たとえば、

輪廻転生とか天国・地獄だとか

そういう死後の世界の概念ってあると思うんですけど



そういう考えって

あくまで生きている者向けのモノでね。



【死んだ者が実際に何かに生まれ変わったり、天国に行ったのか地獄に行ったのか】



なんて、そんな事は、

死んでしまった者にとって問題ではないんだと思う。



さっきも言ったように

死者に意思などないのだし、

で、



たとえば地獄に行った死者を連れ戻す、なんて事を我々は出来ないでしょ。

死んだ者に対して、生き残った我々は何も出来ない。



結局



「死んだ後に実際にどこに行くのか」という考えは

実は、



生きてる者がいざ死ぬっていう瞬間までに重要にしてるだけってのが正味のハナシでね。



「天国」に「天国」として価値置いてるのは、生きてる人であり、

地獄は死者にとっては多分何でもなくて、生きてる者の所有物でね、



全ては、生き残された者の問題だと思うんです。



だから、

この『ロミオとジュリエット』に関して



僕が1番可哀想だ、と思うのは



ロミオでもなく



ジュリエットでもない、



マキューシオでも



ティボルトでもなく



(独り生き残った)ベンヴォーリオだと思う。



だって

親友が2人とも死んでしまってるんですよ。



友達が死んで1番悲しむのは、友達を失った自分なんです。

だから

友達とか親、家族とかそういう親しい人たちが死んで居なくなるっていうのは悲しい事で



そういう風に追い込む、いじめであったり殺人は、

だからやってはいけないんです。



そういう意味では『ロミオとジュリエット』っていうのは確かに悲劇だとは思う。



ロミオとジュリエットにとっての、

ではなく



あくまで、ベンヴォーリオをはじめ生き残った人達にとっての。



我々は

生まれ出て来て、いきている、のではなく、



いきのこったのだ。

(明日に続く)

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