2012/03/28

『ひまわり』じゃなく、《ソフィア・ローレンの『ひまわり』》だ!

こんにちわ。

ソフィア・ローレンの『ひまわり』を視ました。
〔ひまわり〕といえばゴッホの絵も浮かびますが

今回視たのは
1970年公開のイタリア映画です。
そして、ソフィア・ローレンというのは

劇中にてジョヴァンナを演じる主演女優です。
どんな映画かと申しますと…
超激熱カップルが
戦争によって引き裂かれていく様を描いた映画です。


熱愛の末結婚までした2人。
好きで好きで堪らない妻・ジョヴァンナと別れたくない
夫・アントニオは
兵役を免れようと逃亡するのですが
捕まってロシア戦線に送られてしまいます。
必ず帰ると誓うアントニオを待ち続けるジョヴァンナ。
やがて戦争も終わり
ロシア戦線から生き残った自国(イタリア)兵も復員しているのに
夫のアントニオは一向に帰ってくる様子がありません。
生きているのか、それとも…。
いや、生きているはずっ!!と信じ、単身ロシアへ捜しに行った先で
ジョヴァンナが視た光景は…!

と、いう粗筋でして
ネタバレになるのでこれ以上は書けませんが
ほんとに、悲しくなる映画です。
是非、躁状態の人に観て頂いて精神のバランスをとって頂きたいです。

ポスター画像を一部トリミングして上掲しましたが
これだけでも
バックのひまわり畠と
「妖怪人間ベム」のベラに似たソフィア・ローレンが印象的ですね。
これに、さらに強烈なテーマ曲が加わるのですが

中でも僕は、ソフィア・ローレンというイチ女優が、一番強烈でした。
最初の場面は、ジョヴァンナが
夫の消息について役所に対してわめき散らしている、というもので、
クレームがヒステリック過ぎて
到底共感できそうになかったのですが
やはり、話を追っていくと

共感していくんですよね。
共感、というか、
もはや、好きになっていました。
それだけに、ラストに襲う【切なさ】は一層沁み入った次第。
まぁ、そう考えると
主演のソフィア・ローレン、というよりは
構成が良かったんでしょうけど…。

もうね、ひまわりなんかどうでもいいんですよ。
だいたい、これは反戦映画でもあるらしいのですが
何か無理があると感じました。
日本人の僕にすれば、凄惨を極めるとはいいつつも
ロシア戦線という舞台に馴染みがないからかも知れません。
戦争で引き裂かれる愛を描く一作品として、大好きになりました。
あと、
所々「笑わそうとしてんのかな?」と思える箇所もあって

面白いんですけど、
全体的に重い雰囲気なので
「俺だけだったりして…」とか「笑っていいんかな?」
と心配になるんです。
作者がどうしたいのかを掴めず戸惑った事が多々あり。
最後に、ソフィア・ローレンは巨乳なんです。
これは、もはや世に得たコンセンサス・方程式でして

劇中2人が愛し合ったり戯れる場面では
夫のアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は
キスから、ではなく必ず巨乳に触る、又は揉もうとします。
それを目の当たりにする度に
僕は身につまされる思い…
なんでやねん。

まぁでも、それが台本通りにしろアドリブにしろ
ソフィア・ローレンを相手に戯れる、という場面では
まずは、その巨乳に触れなければ
端から観ているこちら側としても気持ちが悪く
話に集中できないに違いありません。

だから
そういう観客の気持ちというのを正確に汲み取ろうとする
当時の映画人の姿勢には脱帽するしかないのです。
そして、時を経て…現代日本でも

叶姉妹を前にインタビュアが苦しむしかない、という局面が
長く続いている状況下では
それに触れずにチラ見して「この人ヤラシイ」と思われる不幸と

まずは、と「胸大きいですね」と言ってセクハラと訴えられる不幸が
せめぎ合っているのです。

北朝鮮を相手に衛星・ミサイル・核について触れない様なもんです。

あり得ませんよね。
だから、アントニオ役のマルチェロ・マストロヤンニは

ソフィア・ローレンの胸を
笑うくらい、すぐに揉もうとしますが
それは現代の国際政治に照らし合わせても正攻法なのです。


しかし、こういう学説も巨乳のソフィア・ローレンあってこそ!
【訂正】ソフィア・ローレンあってこそ!なのです。
それほど、この映画において

ソフィア・ローレンという女優は強烈に輝きを放っています。
ただの映画『ひまわり』じゃないのです。

【ソフィア・ローレンの『ひまわり』】なのです。

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