2012/10/15

男が女を意識する時

ずっと前に読んだ夏目漱石の『三四郎』の中の

冒頭での、とあるワンシーンは、意味不明過ぎて
今も気になる。

たしか…
物語は
主人公の三四郎が東大に向かうべく乗ってた上京列車の中から始まる。

向かいか、又は近くに座っていた1人の女の乗客を意識しながら
食べた弁当のゴミを窓から投げ捨てるのだ。
!!!!
意味不明なのである。

しかも
投げ捨てた弁当箱がその女に当たるのだ、たしか…。
たしか、そうだったはず。

コンタクトを取りたかったからなのか、
注意を引きつけたかったからなのか。

結局その女とは何かに拍子で後々、途中の名古屋で絡むのだが
別に
「弁当を投げつける」行は必要でないように思う。

際立って、不自然だからである。
なぜ、僕には際立ってるのかというと

自分にも、 かつてそういうところがあって、解るからであろう。

女の気を引こうと思って悪ぶる、っていう
そういう、年頃のオトコの「しょうもない」愚行は

明治の時代でもそうなのか?永遠なのか?
あの夏目作品に、だぞ!まさか!と驚くばかりなのである。

全体的に『三四郎』がどんな話かはっきり覚えてないくせに

「主人公が空の弁当箱を窓から投げ捨てて、それが気になってる女に当たる」
って、そんなのは覚えてて

それは僕の人生の中のミステリーBest10には入るほどである。

気になる女の前で悪ぶる、なんてのは大人の男がするには幼稚だが
気になる女に自分が気になっているって事を気づいてもらう

って、男の永遠のテーマだと思う。



今、目の前を通り過ぎたお姉さんが《キレイ》《カワイイ》《タイプ》《ヤバイ》

って気づいて…ただそれだけ…
男同士で「うわ!今、通り過ぎた娘、ヤバイ、むっちゃ可愛かった」とか…

その娘に聴こえるように言え!じゃなきゃ、何も始まらんわ!悲劇さえ起こらんわ!

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